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名古屋地方裁判所 昭和36年(ヨ)1131号 判決

申請人 石井英明

被申請人 名古屋汽船株式会社

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

申請代理人は「被申請人は申請人を従業員として取り扱い、昭和三六年八月から毎月末日限り金二五、〇〇〇円宛を支払え」との裁判を求め、申請の理由として

被申請人は船員約一四〇名を有して海運業を営む株式会社であり、申請人は昭和三六年五月一八日甲板員として被申請会社に入社し、毎月末日二五、〇〇〇円の賃金の支払を受けていた者である。

被申請人は昭和三六年八月一九日申請人に対し臨時雇用期間が終了したとの理由で解雇通知をなした。しかしながら右解雇の意思表示は以下の理由によつて無効である。

(一)  右解雇は申請人が被申請会社に入社する前、申請外山田海運株式会社所属の若潮丸に乗船中に若潮丸船員労働組合を結成し組合活動をしたことに基くものであり、また申請人が右組合活動をしたので全日本海員組合が申請人の締出しを図る運営をなしたのに対し被申請人が介入した結果なされるに至つたものであつて、不当労働行為として無効である。

すなわち、若潮丸は石炭を運送する国内航路船であるが老体で航海中に度々故障し厚生文化施設は皆無であり、またその船員は定員を欠くため一日十数時間の過重労働を強いられながら残業手当の支給もなく初任給四千円という低賃金であつた。そこで右の如き劣悪な労働条件改善のため一八名の船員中、申請人を含む一四名が全日本海員組合に加入しようとしたが、山田海運株式会社が海員組合との連絡文書を開封したり、一部高級船員が海員組合に入つても同じだと述べたりして加入を妨害したので、若潮丸乗組員だけで昭和三六年三月二五日「若潮丸船員労働組合」を結成し、同月三〇日大阪、関西電力岸壁で右会社と団体交渉を開き右労働条件改善要求をなしたが、会社側は殆んど右要求を無視し、その後も会社側は何らの回答をしなかつた。そこで同年四月二二日鹿児島県串木野港に入港した際、乗組員中大半の一三名が会社の態度に見切りをつけて下船を申し出たので、若潮丸船員労働組合は会社に対し下船者に下船後の生活保障立上り資金として手取給の一〇ケ月分を支給するよう要求して同年四月二四日ストライキに入つた。翌四月二五日以降会社との団体交渉が続けられたが結局決裂し、会社は同月二七日著しく職務を怠つたとの理由で若潮丸船員労働組合員全員の雇止をなした。その頃全日本海員組合は若潮丸乗組員のうち若潮丸船員労働組合に加入していない五名及び山田海運株式会社所有船清祐丸乗組員全員を海員組合に加入させ同会社との間にユニオンシヨツプ協定を結んだので、同月二九日同会社は若潮丸船員労働組合員に対し右ユニオンシヨツプ協定により解雇する旨通告した。同年五月三日団体交渉が再開されその結果会社側は解雇を撤回し立上り資金として本給の二ケ月分に加えるに一万円を支給し組合員は希望下船することで妥結した。このように山田海運株式会社が全日本海員組合と共謀して若潮丸船員労働組合員を解雇する目的で極く僅かの非組合員を全日本海員組合に加入させてユニオンシヨツプ協定を結び解雇の挙に出たのは明白な不当労働行為というべきである。しかるに全日本海員組合は申請人らの組合活動を不当視し、昭和三六年六月二三日付で被申請人を含む各船会社及び海運局に対して「山田海運若潮丸労働組合の件」と題し「先に船員新聞(五月二九日付第七二五号)で発表した山田海運若潮丸事件は海上労働運動の中において終戦直後の事件以来最近例のない事件であつたので、当時の関係者の氏名を送付しますので御査収下さい。特に重要人物と見られる者操舵手石井英明、操機長中川秀蔵、司厨長谷本義光、操機手鈴木弘、同幸坂光男、機関員村中一也。尚右の六名は今後組合に加入することは拒否することになつており、ユニオンシヨツプ制協定会社に就職することは出来ませんので厳重なる配慮を必要とします」と記載した文書を配布した。そこで被申請人は申請人を解雇しようとしたが、申請人は昭和三六年六月八日全日本海員組合に正式に加入し組合費を徴収され組合員証の交付を受けて組合員となつており、除名処分を受けたこともないから船主団体と全日本海員組合間の労働協約第三条ユニオンシヨツプ条項に基いて解雇することができないので、同協約第三条第二号に「臨時に船員として乗船する者についてユニオンシヨツプ制の適用を特に除外する必要がある場合には会社は組合と協議してきめる」とあるところから組合と協議して申請人を三ケ月間の臨時雇とし臨時雇傭契約の終了という形式をとつて解雇に及んだ。しかし被申請会社が申請人を解雇した真の意図は申請人が被申請会社に入社する前に若潮丸船員労働組合を結成し組合活動をしたことによるものである。また全日本海員組合が各船会社及び海運局に出した前記文書において指名された六名のうち殆んどは若潮丸下船後他の船会社に入社乗船したが右文書のため申請人と同じく解雇されるに至つた。例えば申請外村中一也は昭和三六年六月一二日日照海運に本雇として入社したが、同年七月一三日社命下船ということで解雇されたのでその根拠を問いただしたところ組合から文書がきていることが判明した。申請外谷本義光は同年六月八日兵機海運に本雇として入社したが、同年七月二七日付で解雇されたのでその理由を詰問すると組合から文書がきているのでやめてくれとのことであつたが後に前記文書が出ていることが判明した。右の如く全日本海員組合は若潮丸船員労働組合員を締め出す方針をとり、その方策としてユニオンシヨツプ制を逆用し船主がユニオンシヨツプ条項によつて若潮丸船員労働組合員であつた者を雇傭できないように組合員を処分するという運営をしている。被申請人はかかる全日本海員組合の運営に協力し申請人については海員組合の組合員であるためユニオンシヨツプ条項を適用できないので海員組合と協議して申請人を三ケ月間の臨時雇とし、右臨時雇傭契約の終了ということにして解雇するに至つたものであつて、右の如き解雇は海員組合の運営に介入した結果なされたものとして不当労働行為である。

(二)  仮りに本件解雇が不当労働行為でないとしても申請人には就業規則の解雇事由に該当する行為がないから無効である。

(三)  仮りに然らずとするも、申請人は操舵手として名光丸に乗り組み真面目に働き森本船長も普通の勤務状態であるといつており特に解雇しなければならない事情はないのに若潮丸での正当な組合活動を理由に解雇に及んだのであるから権利の濫用として無効である。

申請人は被申請人に対し従業員地位確認賃金支払の本訴を提起すべく準備中であるが、労働者であつて賃金のみによつて生活しており右本案の確定判決を待つていたのでは日々の生活がおびやかされるので、それを防ぐため本申請に及んだのである。

と陳述し、被申請人の主張に対し次のとおり述べた。

申請人が期間三ケ月の臨時雇であることを否認する。申請人が本雇であることは次の事実によつて明らかである。(い)臨時雇は平常時よりもある期間だけ仕事の量が増加し或は病欠者が出た場合の一時的な人員不足を補うため臨時的に雇傭されるものであつてその仕事はある一定期間の経過により終了することが予定されているが、申請人の雇傭については右の如き臨時的補充の事実がないこと。もつとも昭和三六年五月申請外菅谷孝久操舵手が下船したが、右下船は組合専従のためであつて一時の臨時的下船ではなく、申請人が同年七月一七日伏木で下船させられたあとへ右菅谷は乗船していないから申請人の乗船が菅谷操舵手の一時的下船中の補充であるということはできない。しかも申請人が採用された当時右菅谷の後任にあてられることは確定していなかつたのである。すなわち、申請人は昭和三六年五月一四日近畿海運局船員職業安定所に就職申込をしたところ、被申請人から右職業安定所を通じて面接の通知があり、同月一八日被申請会社で浜中船員課長に面接し採用と決定した。その際浜中課長は今月末名和丸が名古屋へ入港するのでそれに乗船してもらうから待機しているように述べた。ところが同月二〇日右職業安定所係員がメモ(甲第九号証の一)を持つて申請人を訪れ、会社からの電話ですぐ会社へ寄つて川崎で名光丸に乗船するように連絡があつた旨告げたので、申請人は同月二二日被申請会社に寄つて差遣状を受け取り同月二三日川崎で名光丸に乗船したのであるが、右メモによれば被申請人ははじめ右菅谷の後任に申請外小川博徳操舵手をあてる予定であつたのを同人が病気のため急に申請人を名光丸に乗船させたのである。(ろ)船員手帳に雇入期間として不定とあること。右船員手帳の記載は公認を受けたものであつて、右記載につき恣意的解釈は許されない。期間を限つた雇入ならば当然その期間を記入すべきである。又航海期間が予測できないとしても航海中に雇入期間が終了する場合にはこれを延長し得ることが船員法に規定されているからあえて不定とする必要はない。しかるに被申請人は申請人が特に要求したのでもないのに船員手帳に期間不定と記入したのであるから申請人の雇傭は臨時的なものではない。被申請人は昭和三六年七月一七日申請人に対し名光丸下船命令を出して雇入契約解除をなしたが、右解除の意思表示は船員法第四二条所定の手続によらずしてなされたものであるから無効である。(は)申請人の給与が本員なみであつて臨時雇の場合のように高額ではないこと。海上労働者の場合原則として臨時雇は本雇より給与が高い。しかるに申請人は船主団体と全日本海員組合間の労働協約(昭和三六年四月一日実施)による給与を支給されていたものであつて高額ではない。申請人の乗船した名光丸は右労働協約書(乙第七号証)七七頁職別最低保障本給表のうち遠洋三千屯未満近海三千屯以上にあたり、申請人は部員であつて初め員級〈A〉の給与一一、四〇〇円の支給を受けることになつていたが、操舵手として勤務したので申請人の異議によつて変更され月額一四、〇〇〇円を支給されることになつた。右給与は本員と同じ額であつて何ら高額ではない。本員の給与は乗船中最低賃金が保障されており、下船した場合には最低賃金の保障もなく会社との話合いで決められる。前者は保障本給、後者は本人本給と呼ばれるが、申請人は採用の際乗船本給を一一、〇〇〇円と定められ下船した七月一七日以降右一一、〇〇〇円の支給を受けているのであるから、右乗船本給額は本員の場合の本人本給をいうものである。(に)海上労働者には臨時雇の労働慣行がないこと。(ほ)本雇と臨時雇とは採用の際の提出書類によつて本質的な差はないこと。船員は船員手帳を有しなければならず、船員手帳には船員の経歴身分が記載してあるので提出書類はそれ程厳格なものではなく、採用手続は履歴書、船員手帳及び採用通知書記載の書類を提出する程度でなされるのが一般である。

右の如く申請人は本雇として採用されたものであるが仮りに然らずとするも、期間三ケ月は試用期間であつて右期間中勤務成績素行が悪い者でない限り当然本採用になるものである。右は雇傭期間が三ケ月ではあるが変更すというようになつていること、被申請人が申請人の乗船する名光丸船長森本重康に対し差遣状で「臨時乗船ですが長崎水産大学卒業者であります。将来本員として採用できるよう御指導願います」との指示をしていることからみて明らかである。ところで森本船長の発行した勤務成績証明書によれば、申請人は普通の勤務状態であり技倆は操舵手は初めての経験だから未熟は当然である旨証明されていて成績が悪いという事実がないから当然本採用されるべきものである。(疎明省略)

被申請代理人は申請人の本件申請を却下する旨の裁判を求め、次のとおり述べた。

申請理由事実のうち被申請人が海運業を営む会社であること、申請人が昭和三六年五月一八日甲板員として被申請会社に入社したこと、被申請人が同年八月一九日申請人に対し臨時雇用期間が終了したとの理由で解雇通知をしたことは認めるが、その余の事実はすべて争う。

被申請人は昭和三六年五月二〇日申請人との間に職務甲板員、本給月額一一、〇〇〇円(乗船本給)、雇傭期間乗船後三ケ月(変更も可)として雇傭契約を締結したものであつて、右臨時雇傭契約は同年八月一九日終了した。申請人を臨時雇傭した経過は次のとおりである。すなわち被申請人所有の名光丸(乗組員森本船長以下三九名)の操舵手菅谷孝久が有給休暇のため下船し且つ結婚することになり森本船長から代人の手配方要請があつたが予備員に適当な者がいなかつたため被申請人は東海及び近畿各海運局内船員職業安定所に求人申込をしたところ近畿海運局内船員職業安定所より申請人を紹介して来た。そこで被申請人は前記の如き条件を明示のうえ申請人を臨時船員として採用し、昭和三六年五月二三日川崎港で名光丸に乗船させた。その後名光丸は樺太塔路港フイリツピンのサンタクルーズ港に航海した後同年七月一六日伏木港に帰港したが、その際本員で有給休暇を終了した者があつたのでこれを乗船させ、その結果臨時的必要のなくなつた申請人を下船させることとし、森本船長に対し申請人の下船命令を出した。森本船長は右指示に従い申請人の雇止手続をなして公認を受けたが、申請人は異議なくこれを了承して同年七月一七日下船したのである。被申請人は右雇傭契約の終了時である同年八月一九日申請人に対し期間満了による解雇通知をなすと共に八月一日より同月一九日までの給料五、七九七円を支払い、また同年八月二五日申請人の要求で船員失業証明票を交付した。

ところで被申請人は海員の特別な有給休暇制度等により保有予備員のみでは配乗不可能の事態が生じるという海上企業の特殊性及び名古屋において外航船を有する会社が被申請人のみであるという特殊な環境から臨時船員制を採用しているが、本船員が稼動できる迄の一時的なものであるところから、採用の際本船員が船員手帳、履歴書、身元保証書、誓約書、戸籍抄本、身分証明書、学業成績書又は卒業証明書を提出しなければならず、また学校の新卒者、縁故者より採用することが多いのに反し、臨時船員においては船員手帳及び履歴書の提出のみで足り給料も本船員より高率である。また臨時船員より本船員への登用は過去三年間において臨時船員中の二六パーセントに過ぎない。臨時船員の採用なくしては被申請人の企業は維持できないのである。

もつとも臨時雇用期間の三ケ月につき変更も可とあるが、右は臨時必要度及び航海の特殊性から多少変動することを考慮して定めたものである。次に申請人所有の船員手帳に雇入期間を不定としてあるけれども、雇入契約は船員法第三一条以下によつて明らかなとおり、船舶所有者又はその代理人が船員との間に締結するものであつて、船長は船舶所有者の代理人としてならば格別、その固有の権限において直ちに当事者となり得るものではないから森本船長は被申請人が同船長宛の差遣状において示した労働条件である雇傭期間乗船後三ケ月を変更する権限はなく、したがつて雇入期間が不定というのは雇傭期間と同じく三ケ月と読みかえられるべきものである。仮りに雇入期間が不定であるとしても、雇入契約は継続した雇傭契約の存続期間中特に一定期間を限つて特定船舶に乗船服務することを内容とする乗船契約に外ならないから、右期間不定とは乗船期間が不定という意味であり、しかも雇傭契約期間三ケ月の範囲において不定というにとどまる。仮りに然らずとするも被申請人は申請人が下船した昭和三六年七月一七日の約九六時間前である同月一二日に名光丸船長森本重康を通じ電報文(書面)で同年七月一七日限り雇止する旨の雇入契約解除の申入をしているから右期間の満了した同年七月一七日をもつて右雇入契約は終了し雇止公認手続も終えている。(疎明省略)

理由

被申請人が海運業を営む会社であること、申請人が昭和三六年五月一八日甲板員として被申請会社に入社したこと、被申請人が同年八月一九日申請人に対し臨時雇傭期間が終了したとの理由で解雇通知をしたことは当事者間に争がない。

そこで右解雇の効力を考えるにつき、まず申請人が本雇として雇傭されたものであるかそれとも臨時的に雇傭されたものであるかについて判断する。成立に争のない甲第一号証、第四号証、乙第一号証、申請人本人尋問の結果成立の認められる甲第九号証の一、二の各記載、証人浜中博の証言(一部)及び申請人本人尋問の結果(一部)によれば、被申請人は昭和三六年五月一九日近畿海運局内船員職業安定所に甲板員又は操舵手、雇傭期間三ケ月として求人申込をしたところ、同月二〇日同職業安定所から申請人を紹介して来たので、被申請会社船員課長浜中博が面接した結果職名甲板員、雇傭期間乗船後三ケ月(変更も可)として採用し、同月二八日頃入港する名和丸乗船まで自宅待機を命じた。その頃被申請人所有の名光丸乗組員である操舵手申請外菅谷孝久が下船することになつていたので、被申請人はその後任として申請人と同じ頃採用した申請外小川博徳操舵手を予定していたが、小川操舵手が病気のため乗船できなくなつた。そこで被申請人は五月二二日名和丸乗船のため待機させてあつた申請人を急拠呼び寄せ(甲第九号証の二の記載中メモを昭和三六年五月一九日託したとあるのは五月二二日の記憶違いとみられる)、菅谷操舵手の代人として名光丸に乗船さすべく職名操舵手、雇傭期間乗船後三ケ月と記載した名光丸船長森本重康宛の差遣状を作成し、同月二三日川崎港において菅谷操舵手の代人として名光丸に乗船させたものであることが疎明され、これに反する証人浜中博の証言、申請人本人の供述は措信し難い。右疎明事実によれば、申請人は期間を乗船後三ケ月として臨時的に雇傭されたものであるというべきである。

申請人が臨時雇に非ずとして反駁する論点について以下順次論及する。(い)証人浜中博の証言によれば、被申請会社においては昭和三五年二月及び三月にそれぞれ一隻ずつ船腹が増加し、その乗組員九二名が一年経過することによつて有給休暇の資格を取得するに至り、昭和三六年五月以降その数が急に増加したので三〇名程度の予備員をもつてしては保有船舶三隻に対する配乗が困難となり臨時雇採用の必要があつたことが疏明される。また、申請人を採用する際代るべき本員が特定されておらず、また申請人が同年七月一七日伏木港で下船したあとへ菅谷操舵手が乗船しなかつたからといつて、これをもつて申請人が臨時雇であることを否定する理由にはならない。(ろ)成立に争のない甲第八号証によれば、申請人が昭和三六年五月二三日川崎港で名光丸に乗船するについて船員手帳に雇入期間不定と記載され、同日該雇入契約につき関東海運局川崎出張所の公認を受けたことが疏明される。ところで雇入契約は海上労働の特殊性から船舶所有者が雇傭契約により雇傭した船員を乗船させるにつき船舶所有者と船員との間に締結される乗船契約であつて、雇傭契約の存続を前提とするものであるが、船員法は右雇入契約を通じて船員の保護をはかるという立前をとり同法第三一条において同法で定める基準に達しない労働条件を定める雇入契約はその部分については無効とすると定め、同法第三六条において船長に対し雇入契約における労働条件を海員名簿に記載し、海員に提示すべきことを命じ、更に同法第三七条第三八条において公認という手続を設けて船長に対して雇入契約の成立、終了、更新又は変更があつたときはこれを記載した海員名簿を行政官庁に提示して公認申請をなすべきことを命じ行政官庁は雇入契約が航海の安全又は船員の労働関係に関する法令の規定に違反することがないかどうか、又当事者の合意が充分であつたかどうかを審査するものとしている。公認のこのような目的から考えれば公認は行政官庁に対し雇入契約の内容を審査する機会を与え、もつて船員の保護について行政上の監督、指導を行おうとするにとどまり、雇入契約の内容そのものに関しては、審査の結果船員法第三一条により労働条件が法定の最低基準に達しない場合に右最低基準における履行を確保しその外船舶運行及び労働関係の法規に違反する条項の阻止をはかる等の措置に出る外は、船舶所有者と船員の間に有効に成立した雇入契約の内容を両者の意思にかかわりなく積極的に変更し得る性質のものではない。すなわち公認は行政官庁が船員保護の目的で船舶所有者と船員との間に有効に成立した雇入契約の成立、終了、更新又は変更の事実を認証する行政行為であつて積極的に既成の事実に対し直接変更を来たさしめるものではないというべきである。公認が右の如き性質を有するものであることに徴すれば、雇入契約が如何なる内容のものであるかは公認されたところによつて一応事実の証明があるものということはできるが、雇入契約条項が公認された如く確定するというべきものではなく当事者間の合意によつてこれをみなければならない。前記甲第一及び第四号証、乙第一号証の各記載、証人浜中博、同森本重康の各証言並びに申請人本人尋問の結果によれば、申請人被申請人間には昭和三六年五月二〇日雇傭契約と同時に雇入期間乗船後三ケ月として雇入契約が締結され、被申請人は右に基き名光丸船長森本重康宛に右雇傭契約及び雇入契約の内容を明示した差遣状を交付したのに、同船長に代つて公認申請事務を行つた名光丸事務長守屋茂は右差遣状の記載に反して無権限で海員名簿及び船員手帳に雇入期間を不定と記入し、公認申請をなしたことが疏明される。このように雇入期間は乗船後三ケ月と定められているに拘らず、申請をなすべき船長が事実に反し雇入期間不定として公認申請をなした結果前記の如く公認されるに至つたのであるが、船長は単なる公認の申請の手続をなすべき義務者に過ぎず、船舶所有者と船員との間に成立した契約内容を変更するが如き権限はないものというべきである。右の如く、公認が認証的効力を有するに過ぎないこと、船長が単なる公認申請手続義務者たることに鑑みれば、たとえ雇入期間不定として公認された事実があつても、当事者間に有効に存在する雇入期間は雇入契約条項どおり乗船後三ケ月であつて、公認により期間不定と変更されたものということはできない。したがつて雇入期間不定として公認された事実をもつて雇傭契約期間を不定と論断することはできない。(は)成立に争のない甲第二号証の三、第一三号証の一乃至四、乙第七号証の各記載、証人浜中博の証言及び申請人本人尋問の結果によれば、申請人は乗船中操舵手として勤務し本給月額一四、〇〇〇円を支給されていたが、右支給額は船主団体と全日本海員組合間の労働協約により本員である操舵手が役付として支給される最低保障本給月額一四、〇〇〇円と同額であることが疏明される。しかしながら臨時雇の性質から考えて臨時雇の給与が必ずしも本員より高額であるとはいえないし、また常に臨時雇が本員よりも高額の給与を支給されるような慣行があるとの疏明もないから、申請人が本員と同額の給与を支給されていることによつて臨時雇である事実を覆えすには足りない。(に)海上労働者に臨時雇の労働慣行がないという疏明がないのみならず、かえつて証人安藤剛夫の証言によれば、被申請人会社の外にも本員が有給休暇、病気等の場合に臨時雇を採用する船会社のあることが疏明されるし、証人浜中博の証言によれば、被申請会社においては船員の有給休暇資格取得者が一時に多数発生し或は急に船腹が増加した場合の要員不足に対処するため乗組定員の二割程度の予備員をおき、また親会社である日産汽船株式会社の援助によつているが、これで賄いきれない場合に備えて昭和二六年頃から臨時雇を雇傭しており、現在においても雇傭船員一六〇名中予備員を含む本員が一五五名、臨時雇が五名であることが疏明されるのであつて、被申請人が臨時雇を採用する必要があり現にこれを採用していることが明らかである。(は)証人浜中博の証言及び申請人本人尋問の結果によれば、申請人は採用面接の際船員手帳及び履歴書を提出したのみであるが被申請会社において、本雇採用の場合には船員手帳、履歴書、身元保証書、誓約書、戸籍抄本、学業成績証明書等の書類を提出せしめているのであつて、本雇にするかそれとも臨時雇にするかは重大な差異があるものというべきであるから右採用手続上の差を無視することはできず、この点からも申請人が本雇であるということはできない。

なお申請人と被申請人間の乗船後三ケ月の雇傭期間には変更も可という附帯約款が存するが、これは右期間満了の際の情況によつて被申請人は三ケ月と限定した雇傭期間を変更して更に引き続き申請人を雇傭することができる旨を定めたにとどまり、被申請人に対し期間満了後申請人を継続雇傭する義務を負担させたものということはできないから、これをもつて申請人が本雇であることの証左とはなし得ない。

申請人は右三ケ月の期間が定められていたとすればそれは試用期間である旨主張するが、申請人は本員の一時的補充のため臨時的に雇傭されたものであつて、右三ケ月の雇傭期間が臨時雇傭期間であることは右に認定したとおりであるから、右主張は理由がない。

以上により被申請人と申請人間の本件雇傭契約は期間を乗船後三ケ月とする臨時的のものというべきであるから、申請人が乗船した昭和三六年五月二三日より三ケ月を経過した同年八月二二日をもつて終了すべきものである。従つて被申請人のなした同月一九日付解雇通知は雇傭期間満了前になされた雇傭契約解除の意思表示である。

そこで右解雇が申請人の若潮丸船員労働組合における組合活動を理由としてなされた不当労働行為であるとの主張について判断するに、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は被申請会社に入社する以前において申請外山田海運株式会社に操舵手として雇われ若潮丸に乗船中昭和三六年三月同船乗組員の内一四名をもつて若潮丸船員労働組合を結成し、山田海運株式会社に対し船内における労働条件の改善を要求したが同会社がこれを無視したため同年四月二二日鹿児島県串木野港に入港した際組合員一三名は下船し下船後における生活保障金の支給等を要求してストライキに入つた。他方当時若潮丸船員中右労働組合に加入していない船員及び同会社所有の他の船舶の船員は全日本海員組合に加入し、右会社は全日本海員組合とユニオンシヨツプ協定を結び、同月二九日若潮丸船員労働組合員に対し右協定に基き解雇の通告をした。その後右会社と若潮丸労働組合員との間に交渉が行われ、同年五月三日会社は右解雇を撤回し下船者に対し立上り資金として本給二ケ月分と金一万円を支給して希望退職するということで妥結した。申請人は右若潮丸船員労働組合の結成及びその組合活動において主動的役割を演じたものであることが疏明されるが、被申請人のなした本件解雇が申請人の右の如き労働組合の結成及び組合活動をなしたことを理由として行われたものであることを認めるに足る疏明はない。従つて本件解雇が右事由による不当労働行為であるとの申請人の主張は失当である。

次に申請人は被申請人が全日本海員組合のとつた申請人締出しの運営方針に介入協力し、組合と協議して申請人を臨時雇としたうえ解雇に及んだのであるから不当労働行為である旨の主張について考察するに、申請人本人尋問の結果及びそれにより成立を認める甲第六号証の記載によれば、被申請会社が全日本海員組合とユニオンシヨツプ協定を締結していること、全日本海員組合は申請人が若潮丸労働組合を組織した経過とその争議指導のあり方について看過できないものがあるとして申請人が右組合に加入することを拒否したことが疏明されるが、申請人の右組合加入拒否について被申請人が右組合と協議したことを認むべき疏明はない。尤も右甲第六号証に全日本海員組合が被申請人と協議した旨記載されてあるが、それは労働協約第三条第二号に「臨時に船員として乗船する者についてユニオンシヨツプ制の適用を特に除外する必要がある場合には会社は組合と協議してきめる」と定められているのに則り三ケ月未満の臨時雇につきユニオンシヨツプ制の適用を除外する旨協議したのをいうにとどまるものというべく、これをもつて本雇であるべき申請人を臨時雇となし、申請人を締め出すことを協議したものということはできない。従つて右主張も失当である。

次に本件解雇が就業規則の解雇事由に該当する行為がないのになされたから無効であるとの主張について判断するに、右解雇事由として被申請人は昭和三六年八月一九日雇傭期間が満了したことを挙げているのみであるが、前記認定の如く本件雇傭契約は同月二二日まで存続すべきものであるから同月一九日をもつて雇傭期間は終了せず、外に被申請人は具体的解雇事由を挙げないから右解雇の意思表示は期間満了前において解雇すべき該当事由がないのになされたものであつて権利の濫用として無効とすべきものである。

したがつて申請人は昭和三六年八月二〇日以降も被申請会社の従業員たる地位を有するところ、同月二二日期間満了により雇傭契約が終了し、右従業員たる地位を失つたものである。もつとも右雇傭期間については変更も可とあるけれどもその趣旨は前記のとおりであり、証人浜中博、同森本重康の各証言によれば、被申請人が昭和三七年七月一七日申請人に対し雇止をなし、申請人が伏木港で名光丸から下船するに至つたのは申請外山田久が船匠として名光丸に乗船し、それ迄船匠を代つて勤めていた申請外小松操舵手が操舵手部署に復帰したので申請人を臨時乗船させる必要がなくなつたのによることが疏明されるから、被申請人において前記雇傭期間満了の際引き続き雇傭しない旨を明示している以上、申請人との雇傭契約は昭和三六年八月二二日期間満了により終了したものというべく、右の如く変更も可とあることをもつてこれを左右することはできない。

申請人は右の如く昭和三六年八月二二日迄被申請会社の従業員たる地位を認められるべきであり、したがつて同月二〇日より二二日までの三日間につき下船中の給与の支払を受けるべきものではあるが、申請人の本件申請中従業員としての取り扱いを求める部分はすでに雇傭契約が終了しているのでこれを認める必要性はなく、また右期間の給与仮払を求める部分もその必要性の疏明がない。

よつて申請人の本件申請は失当として却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤淳吉 小津茂郎 渡辺一弘)

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